起業時期への大きな転機

1本の電話

※ブログ公開日の本日は2009年10月3日

2009年8月13日、お盆真っ只中の木曜日。

前日に内村から電話があった。

「会社を辞めることになった」と。

何訳分からないこと言ってんだと思い、もちろん聞き返した。

が、答えは同じ「会社を辞めることになった」。

内村はそんなくだらないウソをつく人間ではないので、この時期に、この方辞めるんだ…と、やっと呑み込んだ。

「で、どうすんの?」って聞きながら、これはタイミングな気がした。

内村であれば間違いなく転職はすぐに決まるだろうが、内村が転職することによって、今まで以上に集まる時間が少なくなる気がしたし、こんなタイミングはもう無い気がした。

後で聞いたことだが、内村はこの電話で私の反応をみたかったらしい。

私の反応でこの日、転職活動をする考えは消えたと。

「起業の時期を早めるか?」

なんの根拠もなかったがそう言った。

ただ、そもそも2011年12月起業というのも、根拠は東京スカイツリーが出来るから、新しい東京のシンボルになろうとしている東京スカイツリーと同じように、日本に必要不可欠な会社を目指したい位だった。

その言葉に内村は、きっと電話越しに気持ち悪いぐらいブサイクな笑顔をしたと思う。

そんな話をし、この日内村が家に来た。

鈴木もこの日仕事だったが、大切な話になると思い、もちろん呼んだ。

私もそうだが、鈴木に電話した時、鈴木は内村が自主退職したと思い「本当に?この時期に?問題児だねー」と言っていた。

ただ、実際はそんな話ではなかった。

タイミング

今年の初めから、内村の会社はかなりマズイ状況が続いていて、内村は会社の財務状況を把握していたため、このままではこうなると分かっていたらしい。

私もその件は何となく聞いてはいたが、内村の会社はベンチャー企業で、内村と共に成長していく会社・友達が働いている会社という理由だけで、陰ながら応援していた。

それもあって、色んな意味で悔しさが沸いてきた。

ただ内村は、すでに前を向いていた。

そして、内村と私で話した「起業のタイミングを早めよう」という考えを鈴木に伝えた。

私は鈴木がどうとかでなく、この時点で〈このタイミングを逃したくない〉という想いが時間と共に強くなったため、鈴木が間に合わないなら、先に二人で始めて、鈴木は後からの合流になったとしても、こういうタイミングは大切にしたほうがいいと思うとも言った。

鈴木はいきなりのことに少し戸惑っていたが、会社として何ヶ月前までに辞めることを伝えればいいのか?

引き継ぎ等に、どの位の時間がかかるのか?

そんな話をしながら出てきた日付が、来年の3月=2010年4月1日起業だった。

私と内村の電話の中では、2010年1月という案が出ていたが、最終的には三人共が納得した。

各自が今、別の会社で働いている。

働いているからこそ、責任がある。

今まで給料を貰ってきた会社に、最後に迷惑をかける訳にはいかない。

上記を踏まえ、出した日付だった。

内村は当分の間無職になるが、失業保険と自分で多少のお小遣い稼ぎをしながら、起業の準備に全力を注ぐと言った。

そして今まで三人の予定が合う日時で決めていたMTを、三人が集まらなくても、最低週に一回はやっていこうと決めた。

このことが大きな転機となり、我々の背中を押したことは、この先の各自の行動に表れる。

今後それは書いていくと思うが、まず当たり前のことではあるが、この日を境にMTに遅刻をする人間がいなくなった。

そんなレベルかよと思われるだろうが、遅刻する人間がいなくなったというより、三人共が意識が変わったことは大きい。

〈残り少ない時間を最大限有効に使う〉

そう各自が強く思った夜だったと思う。

そう、この日の話し合いで、急遽起業まで半年を切ったのだ。

2010年4月1日まで、今日現在残り179日。

そして、この日私が提案したある一つの事業案が、私達が目指していたモノに気づくことになる。

その土台が出たことによって、この先その土台をしっかり踏みしめ、新たな方向に進んでいく。

未来の社員達に伝えたいことは

<タイミング> <きっかけ>

それは自分で作るだけではなく、思いもよらぬ時に良い悪い関係なく訪れることがある。

ただ、その良い悪いはあなた自身で変えられる。

タイミングを失う前に決断しなければならないし、タイミングを自分の追い風にすることを、私は大切だと思っている。

【今日の言葉】は

ピンチはチャンス