習慣と時間と残業についての考え

腕時計を忘れたおかげで

2010年3月2日。

月曜日にフットサルで久しぶりに若干筋肉痛になるぐらい某有名チームとがっつり練習試合をした影響か、火曜日に会社員になってから初めて時計をしていくのを忘れた。

朝かなり寝ぼけていたのかもしれない。

昔は腕時計をするのが大嫌いだったのだが、もう何年もつけてきたからか、忘れたことに気づいてからも、何度か何もつけていない左手首を見てしまった。

習慣とは恐ろしい。

仕事をしていると時間を意識しないということは、ほとんどない。

一日に何度見ているか分からないほど時計を見ていると思う。

だが時間が決まっているからこそ、今自分が何をしなければならないかを考える。

時間という有限なモノがあるからこそ、様々な仕事がある中で優先順位をつける。

時間は有限だからこそ効率を考える。

時間が有限だからこそ、頑張れることがある。

だが、かなり新鮮だった。

時計を忘れたから時間を気にせず過ごした訳ではないが、時計をつけていないことが何か新鮮だった。

私が最後に一話から最終回まで全部見たドラマ<ビーチボーイズ>で、時計を海に投げるシーンがあった。

私は海に投げるつもりはまったくないが、人生という有限の時間の中で、たまには時計を外すのもいいなーと思った。

何時間働いたかは重要ではない

時間関連でもう一つ。

残業についての考え

たまに見かけていたが、今日お客さんの会社内に<本日ノー残業デー>という張り紙があった(一般的に水曜日に多いらしい)。

改めて見ると、何か違和感を感じた。

ということは<その他の日は残業をしよう>という風にも見えてしまう。

これなら他の日に<イエス残業デー>と書いたほうが良いのではないかと思った。

仕事があるということは幸せなことだと思う。

それは仕事が無い人もいるからという話でもなく、必要としてくれている人がいるからということはもちろんとして、暇はとても辛いと思うからだ。

だが、どんなにやらければならないことがあっても、逆にアフター5に予定がまったく無かったとしても、仕事の終わり時間を自分で決めて仕事をすることは大切だと思う。

そして昨日一時間かかったことは今日は50分、明日は30分。

毎回一から資料作りをするのではなく、自分の中の最低限の雛型を持つ等、日々自分なりに工夫するべきである。

上記のようなことは今まで何度も書いてきたが、残業してる=仕事をしているという意味の分らない考えは嫌いだ。

大切なことは、何時間働いたかではなく何をしたかである。

また、以前あるお客さんが、打ち合わせの時間をいつも18時以降にして欲しいと言ってきた。

その理由は残業代だったということもあった。

<残業ズハイ>という言葉を聞いたことがある。

確かに私も何度か感じたことがあるし、時間がかかった仕事程、思い出深いのも事実だが、それにはまってはいけない気がするし、私はそれより、「今日は何時に帰る」と決めた自分との戦いに勝ちハイになりたいと思う。