東日本大震災の被災地にボランティアへ

長い道のり

2011年5月9日。

先週末、東北地方(東松島)にボランティアに行ってきた(7日(土)の夜中に東京を出て8日(日)の夜帰宅)。

行った人間として、そのことを色々書くべきなのだろうけど、その光景を初めて目の前に見た瞬間に言葉を失った。

仲間の一人が二度つぶやいたが、ナビでは陸地なのに目の前には海が広がっていた場所もあった。

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今回、被災者の方の家の片付けをしたのだが、基本家具などは泥まみれで廃棄だった。

そんな各家庭の廃棄物で路上はあちこちでこんな状態だった。

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そんな中、その家の奥さんに「捨てる前に引き出しを開けて欲しい」と言われた。

木製棚の引き出しのほとんどが水分を含んだため全く開かなかった。

そのためバールでこじ開けた。

そこから写真が出てきたり、食器が出てきたり、びしょ濡れの服、パスポートも出てきた。

ただ、そんな木製棚の中で一台だけ「バールで壊さないで」と言われた棚があった。

正直私はそれも廃棄だと思っていたのだが、「全部捨てると何も無くなっちゃうから」との言葉に、ただただバールを置いた。

家の中に靴を履いたまま上がっていいのかと一瞬戸惑ったが、家の床も泥まみれで、その泥をスコップで出し、最後は水で流した。

そんなことをしながら、突然雨が降ってきた。

こんな状況の、屋根が無い家がある街にも雨は降る。

その雨を降らす空を見上げながら、復興とは何なんだろう?と考えていた。

目の前には、元に戻すことが出来ないことがありすぎた。

ある方が「モノは無くなってもまた買える。大事なのは人命」と言っていたが、もちろん一番大切なのは命だとは思うが、思い出は写真だけではない。

被災者の方々は「命があっただけマシ」と言って爽やかに「捨てて下さい」と言っていたが、その言葉を言えるようになるまで、色んな葛藤があっただろうし、被災者でもない人に「モノは何とでもなる」なんて言われたくないだろうなーとも思い、その方の言葉が凄く薄っぺらく感じた。

そして被災者の方々の強さに頭が下がる思いだった。

また、私達がボランティアをするような人間には見えなかったのか、あるテレビ局の密着にあった。

最初はただ私達の作業風景を勝手に撮っていたのだが、「ちょっと作業を止めてインタビューさせて下さい」と言ってきた。

私達の滞在出来る時間は決まっていたし、作業をしていた。

最初は簡単なインタビューだとは思っていたが、あまりに長く私は無視して作業を始めた。

だが、引き出しを開けた瞬間などを「もう一回お願いします」と言ってきたり、あまりにも身勝手に感じた。

被災地の光景をバックにピースしながら写真を撮って帰る観光客もいると聞いた。

今回被災地に行ってみて、原発どうこうではなく、まだまだ長い道のりだなと感じた。

まずば同じことを思った仲間達と、自分達が出来ることを続けていこうと思う。

それに、被災地に行ってボランティアすることが全てではない。

仲間達も私も、東京で仕事をし生活をしている。

むしろ、東京でも出来ることをもっともっと探していきたい。

それが、今回被災地に行ってみて、あまりにも無力と感じた自分自身のためにもなると思う。