富士山に登って御来光を見てきた

日本一の方

20代の内にやっておきたいことの一つに、富士山登頂があった。

去年の忘年会で仲間の一人が9月から中国に転勤することになり、それを理由に、送別も兼ね、2011年7月17日(日)・18日(月祝)に富士山に行った。

7月の三連休及びお盆期間のマイカー規制は以前から知っていたが、元々車で行く予定を前日に電車に変更し、電車で行った。

富士山に近づけば近づくほど緑広がる景色に、あまりにもにもテンションが上がり、午前中には着く予定だったはずが、途中下車して、寄り道やビールの誘惑に負けた結果、5合目に着いたのは14時近かった。

5合目でも、雲の近さだけでなく、そこから広がる景色に感動し、5合目で写真を撮って帰るのみの人達がいるのも理解出来た。

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5合目で体を慣れさせるために、一時間ほどブラついたり、食事した後、まずは長袖短パンの格好で、15時に5合目を宿泊先ルートの吉田口(河口湖口)より登山開始。

登り始めて、聞いてはいたが、馬糞の多さに少し驚いたが順調に進んでいった。

だが三連休ということもあり、7合目を越えた辺りから混雑し始め、立ち止まる時間が増えた。

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だが、見渡す景色が、そんな待ち時間も飽きさせなかった。

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少し分かりづらいと思うが、逆富士も見ることが出来た。

奥に見える富士山の影が分かるだろうか?

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時間と共に変わる景色も面白かった。

夜の写真は上手く撮れなかったので載せないが、夜の富士山、そして夜の富士山から見る景色も綺麗だった。

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体力的にも、登山道も問題無かった。

混雑していたこともあり、人を抜けるところではどんどん抜いた。

だが、7合目を越えた辺りから、仲間の一人が軽い高山病にかかったようだった。

そこからは、その仲間のペースで無理をせず、ゆっくりと登っていった。

結局渋滞も重なり、宿泊した8合目の山小屋に着いたのは20時近かった。

山小屋に着いて、すぐに出された夕飯のカレーは、普段出されればちゃぶ台をひっくり返すような味だったのかもしれないが、最高に美味しかった。

小屋は噂通りの狭さ。

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だが、前日3時間しか寝ていなかったこともあり、21時には横になって1分以内に寝ていた。

だが、仲間の何人かは、人の声や、いびき、寝言でなかなか寝れないと言って耳栓をしていた。

そして予定では1時起床のはずだったのが「混雑しているので」と0時半に山小屋のスタッフに起こされ、1時には頂上を目指し8合目の山小屋を出発した。

9合目を越えたあたりで、身軽さを重視し、上着を持ってこず、ここまでタンクトップ姿で登っていた仲間の一人も「もう限界」と他の仲間のカッパなどを借りて着た。

そして、聞いていた通りの渋滞で、頂上に着いたのは2時半だった。

だが、頂上に着いた瞬間待ち受けていたのは、登頂の感動と同じ、いや越えるぐらいの寒さだった。

400円だろうが、缶コーヒーにこれほど価値を感じた瞬間が今まであっただろうか?と思ったほどだった。

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それでも寒さは凌げなかった。

風も強く、全員震えながら身を寄せ合った。

富士山に持参するべきモノと不要なモノ

防寒具(手袋や軍手なども)は必需品だ。

また、その他反省を踏まえ、完全なる個人的意見で、持っていったほうが良いと思うモノは

・靴の中に砂や石が入らない高さの、かつ滑らない靴
・体を拭くシート(富士山にお風呂はない)
・ゴミ袋(ゴミは各自持ち帰り)
・水
・携帯充電器
・マスク

まず靴に関しては、今回ナメていた訳ではないのだが、ナイキのエアフォースⅠという普通のスニーカーで登ったのだが、とにかく滑る。

登山用の靴を履いている人達でも滑っていたが、全員スニーカーの私達はさらによく滑った。

それは下山道では特に。

靴は登山用ではなくとも、ツルツルではない靴で登るべきだと実感した。

あとは、手足を出すなということ。

今回、7合目あたりまで私は短パンで登ったのだが、とにかく虫が多い。

私はブヨに刺され、今もスネがかゆい。

手足は多少暑くても、五合目から隠していったほうがいいと思う。

あとはマスク。

この写真を見てもらえば分かると思うが、下山道ではかなり砂が飛ぶ。

時折通る馬達も砂を飛ばしていく。

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だからマスクは持っていて損はないと思う。

最後に、水は現地で買うで問題はないと思うが、家で凍らせたペットボドルを持っていくとかなり便利だと思う。

今回私は2リットルの水を凍らせて持っていったのだが、下山した後も多少氷が残っていた。

また、登山前に買ったビールも冷やすことが出来た。

バックが重くはなるが、あると便利だと思う。

それ以外で必需品と言われているモノは我々には不要だった。

例えばスティック(金剛杖など)。

我々以外の登山客は、ほぼ持っていたし、焼印などをしたいなら絶対必要であり、あると上り下り共に楽なのかもしれないが、無くても何も問題は無かった。

足元を照らすライトに関しても、他の登山客のライトの光で全く問題は無かった。

また、富士山の食事や飲み物は高すぎるということに関しては、金額で言えば確かに高い。

何合目かという、高さによって多少の上下はあるが、例えばカップラーメンで600円、ビール700円、トイレは200円のチップ制などなど。

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だが、そこまでの輸送コストを考えれば高いとは思わないし、頂上付近でカッップラーメンを食べたのだが、寒さにしみる最高に美味しいカップラーメンだった。

ビールに至っては、それ以上に染みわたる。

富士山で飲む、食べるということには金額以上の価値があると思う。

御来光

そして、今回富士山を登るにあたり、御来光を一番の目的にはしないと決めていた。

なぜなら、知人の方も二回登頂して、まだ一度も御来光を見たことがないと言っていたが、御来光が見えるかどうかは天気次第であり、絶対ではないからだ。

だが、それが目の前に現れた時、そんなことは一気に忘れた。

言葉で表現するのは難しい。

写真でその瞬間の感動を伝えることも出来ないだろう。

だが、寒さで感覚の無い手でも撮りたいと思うほど、凍えるような寒さに震えていたことを忘れさせるほど、それは感動的だった。

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そして御来光を経て、これから登ろうとしている人にアドバイスをするとすれば、見えるか見えないかは別として、富士山に行くのであれば、御来光を見たほうがいいということだ。

これは実際見ないと、その感動は分からないと思う。

そんな感動を経て、5時頃下山し始め、途中ワンセグでなでしこJapanの優勝を他の登山客とも共有し、9時に無事下山した。

最後は皆で一緒にゴールし、抱き合った。

高山病になった仲間もいた。

何度も「申し訳ない」と謝っていたが、一時期、もう無理なんじゃないかと思うぐらい顔色が悪かった。

山小屋の寝心地は最悪だった。

あんな狭い空間で寝たのは、中学の時、仲間の家のシングルベットで四人で寝た時以来かもしれない。

登っても登ってもなかなか辿り着けなかったのに、やっと辿り着いた頂上では、寒さに震え、富士山の厳しさを実感した。

だが、心から登って良かったと思った。

簡単な道のりではなかったが、互いに励ましあい、鼓舞し、どんなに辛い状況でも、何を言っても笑えるほど充実していた。

間違いなく、結束力は登山前よりもさらに強固なモノになったと思う。

下山後、もう「富士山」とさんづけでは呼ばないで、「富士」と呼び捨て出来るという訳の分からないことも言った。

そして、忘年会という飲みの席の勢い話を、本当に実行に移したその実行力を今後も持ち続け、次はロッククライミングか?などという案も出たが、何にしろ今後も何かに挑戦していこうと言い合った。

そう皆が思えたのは、そう思える達成感で、最高に充実した気分だったからだと思う。

日本一への道のり

日本一への道のりは険しい。

だが、日本一に立った感動は、その険しさをはるかに越える。

私は登山家ではないので「そこに山があるから」とは言えないが、今回の経験で上記したことを、今後ビジネスの中でも忘れずに生かしていこと思う。

どんな険しい道のりでも、成し遂げたいことのために、成し遂げた瞬間のために。

また、ビジネスの世界でも、どんな分野だろうが、一番になることは簡単ではないだろう。

だが、国内でだろうが世界でだろうが、シェアだろうが売上だろうが、何かで一番になることの意義は大きいと思う。

それは今回、富士山に登った理由が、日本で一番だからという理由からも思う。

実は行きの電車で高尾山を通った時、富士山よりも楽だと思われる高尾山に変更し、ビアガーデンに行くか?と一瞬迷いはしたが「登るなら日本一じゃなきゃ意味が無い」と最後まで日本一にこだわった。

やるなら一番を目指そう!

それを否定をするのは、その景色に立った時でいい。

それが、まずは海外の小さな国での一番でも。

まずは弊社も一番を目指していこう!

最後になるが、冒頭でも書いたように、今回元々中国に行く仲間と国内で最後に忘れられない思い出を作るために富士山に登った。

その仲間が今回登れなかったことを、登り始めてからは、このブログを書く今まで一度も思い出さなかったことを謝ろうと思う(笑)

いつか日本に帰ってきた次の機会に!