【はじめに】
これまでも起業前の【友人の子供が生まれた時】などで子供に対する考え方をたまに書いてきましたし、前回【妊娠発覚から性別判明・マタニティフォト・ベビーカーとチャイルドシート購入・両親学級まで】の記事はまだ出産前でしたが、いよいよこのエントリーを書けることに喜んでいます。
以下、当日のメモ参照含め。
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40週1日での破水から、陣痛タクシーで病院へ
妻の家系が早産家系ということで、一番最初に予定日が2020年2月26日と言われた頃から、「まずは37周越えてくれれば」が合言葉だったが、その37周どころか、38周になっても39周になっても、私が勝手に「この日な気がする」と言っていた2月22日も越え、40周ちょうど(2月26日)の診察でも「まだ出産の調光はない」ということで、これは3月もありえるなと思い始めていた2月27日(木)の夜中2時。
突如妻が立ち上がりトイレに行き「破水きたかも」と言った。
私はこんなにも突然来るとは想定していなかったが、その言葉で妻に病院の電話番号を伝えた。
その電話で妻が症状を伝えると、病院から「向かって下さい」と言われ、登録していた陣痛タクシーに私が電話した。
事前に電話番号も登録していたので、出た方はすぐに私の名前を呼び、迎えの場所なども登録済み住所の確認のみで足りた。
「5分・10分で伺えます」と言われたが、寝る準備をしていたので「では15分後に」と伝え、住んでいるマンションが深夜0時〜朝までエントランスに入ることさえできないことを伝えていたので、到着後に電話も頂けた。
家を出る前、妻に「一緒に頑張ろうね」と言った。
だいたい2時30分に到着の電話を頂き、2時50分に病院に到着。
10分程度の診察の後、看護師さんから「破水していますので、このまま入院になります」と言われ準備室に。
しかし、個室を予約していたが、このタイミングで「本日個室は満室ですので今日は大部屋になります」と言われる。
また、この時はまだ子宮口はまだ指がギリギリ2本入る程度とも。
妻に「まだ大丈夫だと思うから一回帰って良いよ」と言われるが、病院近くの妻のご実家の猫と軽く遊び、コンビニでコーヒーだけ買って4時頃に病院に戻る。
しかし、5時30分〜7時近くまで私はあまりの睡魔に少し眠ってしまった。
強めの陣痛が始まる
7時過ぎ、妻の痛がり方がこれまでと変わったようで起きる。
私の手を握ってきて、時に「強く握って」と言ってくる。
陣痛の間隔が分かる機械を見ても分かったが、痛みのない時間は3分もなく、ほぼ常時痛がっていた。
時間と共に更に激しくなり、私がiPhoneで呑気に【破水が先に来た場合の出産まで】的な記事を読んで妻に伝えると「そんなこと良いから手握って」と言われ、時にこんなに力強かったけ?と思うほど強く私の手を握ってきた。
ただ子宮口の開きはまだ3cmと。
子宮口が7cmに
9時、かなりの痛みに一度看護師さんを呼んで診てもらい、子宮口が7cmになったと言われる。
だが、看護師さんからは「もう少し」と言われ、ここでテニスボール導入。
痛みか何かが来るタイミングで「押して」と言われ押すが、最初の体勢では中々力が入らず妻に「もっと強く押して」と言われる。
10時、妻が限界と言い、看護師さんを再度呼ぶが「まずは一回診察しましょう」と言われ、診察室だか分娩室へと言われるが、妻が歩けないと言うと車椅子に乗るよう言われる。
※後から聞いたがこの時の記憶が妻はないらしい
しかし、このタイミングで再度破水。
そのままようやく分娩室に通され、状態を見た看護師さんが「あ、そろそろかも」「先生急いで呼んできて」と別の看護師さんに言う。
分娩室へ
分娩台に乗ってすぐに呼吸といきみ方が上手いと言われる。
このタイミングで「女性の医師を希望していましたがだ男性医師しか今いませんのでご了承下さい」と言われ、突如研修生のような7・8人の集団が入ってくる。
それには看護師さんが「この患者さんは見学NGです」と言ってすぐに退散したが、正直1秒でも出産を見学されたのは腹が立った。
大学病院にとって大切なことなのだろうが、自分達にとって大切な時間が研修生のために診られる時間的に扱われるのは、私は個人的に良い気分はしなかった。
その後男性医師が到着し、出産に向けての戦いが始まる。
先生や看護師さんが色々と言葉をかけてくれるが、何度も妻は私を見てきて、私は先生達がしきりに言っている「もう少し」という言葉を伝えると、妻は初めて聞いたような顔で「もう少し?」と聞き返してきた。
妻が私を見るその表情が・その時だけは、自分自身の存在意義を感じたし、共に頑張っていると感じた。
そして「あとちょっと。あとちょっと」「うまい」を言われながら、気付いた時には「生まれましたよ」と言われた。
それは分娩室に入ってから僅か10分で、この10分間はあっという間だった。
2020年2月27日(木)10時10分。
体重2,988g・身長49,2cmの男の子。
先生から「思っていた性別と合っていますか?」と聞かれ「はい」と即答できるほど、先に袋を確認できていた。
第一子誕生
妻が号泣していた。
その顔を見て私も号泣しそうだったが、人前では泣かないタイプなので何とか踏み止まった。
赤ちゃんは少しの時間が経ってから妻に負けじと声を出して泣いた。
その声も可愛かった。
元々生まれたばかりの血まみれの赤ちゃんは苦手だったが、全くそんなことは思わなかった。
ただただ感動して、その赤ちゃんが看護師さんに拭かれたりしているのを見ていた。
それを見ながら拭き方が強いななどは思ったが(笑)
次に湧き上がってきた感情は、妻への感謝の気持ちだった。
私には想像もできない痛みに耐え、本当に頑張ってくれた。
変な言い方だが、この人と結婚して本当に良かったなと改めて思った。
そして、母親へも感謝した。
ドラマなどで「腹を痛めて産んだ母親に感謝しろ」的な言葉を耳にしたことはあったが、恥ずかしながらこのタイミングで本当に心からそう思った。
母親はこんな痛みに耐えながら自分を産んでくれたんだと。
その後、看護師さんから私だけ一旦分娩室を出るよう言われる。
寝てなかったのもあるかもしれないが、一人部屋を出た後、心臓の鼓動がいつもより早いことに気付いた。
凄く不思議な気分だった。
なぜかカーテンを開け、病院の窓から日差しを見たりした。
その後分娩室に戻り、妻に「触っていいんだよ」と言われ赤ちゃんを触るとサラサラだった。
口をパクパクさせ、時折手を口に入れる面白い動きをしている子が、自分と妻の子供なんだという実感はまだあまり持てなくて、とにかく不思議な感じだった。
ただただその赤ちゃんを見つめた。
全てが初めてなんだと。
あくびをするのも・くしゃみをするのも・お母さんを見るのも、その赤ちゃんは全て初めての体験なんだと見つめ、その瞬間を見れていることに感動した。
そんな全てが初めての世界に驚いてか、すぐには寝なかった。
実際看護師さんに「生まれてから2時間ぐらいは寝ないの」と言われ、その言葉を証明するように、その赤ちゃんは小さな体の全身を使い泣いたり、眩しそうな目をしながらも妻を見たりと一生懸命生きていた。
父親の自覚は・・・
その後、初めて抱っこさせてもらった。
凄く軽くて全てが小さかったが、とても温かく、その体温にこんなに小さくても生きていることを十分に感じさせてくれた。
後からその時の様子を妻が撮ってくれていた動画を見たが、何か言葉をかけるでもなく、ただ赤ちゃんを見つめていた。
そして、この時間ぐらいから「父親なんだ」「俺父親になったんだ」と自分に言った。
その後、赤ちゃんは一旦預かられ、私もどうしても仕事に行かなければいけない用があったので病院を後にした。
病院から駅までの道のり、一台も車が来ていないので信号無視をした歩行者がいたが、私は父親だからしなかった。
そして、今この世界に、自分の息子というのが存在していることが不思議だった。
色んな人を笑顔にする命の誕生
このタイミングぐらいで家族以外の友人達にも連絡した。
元々連絡していた父親としても先輩である兄からは、妻への労いの言葉の後、私に「父親最高でしょ?父親になった実感と幸せをいっぱい味わって下さい」というメッセージに、泣かせるなよと思った。
そして母親はイメージがついていたが、誰よりも早く返信してくれた父親の「おめでとう」にも感動した。
先輩達からも、名前が決まっているのかや、お祝いの言葉や写真を要求するメッセージに、本当に喜んでくれていることがヒシヒシと伝わり嬉しかった。
そして、すぐに内村自身が第一子が誕生した時と同じように電話をくれ、そこで話せたことも嬉しかった。
この数ヶ月、私以上に週数なども把握してくれ、常に気にかけてくれていた。
さらに内村はすぐに他の仲間達にも連絡してくれ、仲間達からお祝いのメッセージが届き、そのメッセージを見た時は一人で笑った。
この日からコロナウィルスの影響で、同居家族以外原則お見舞いNGになってしまったのは残念だったが、まずは色んな人に報告でき、その人達も喜んでくれたことが嬉しかった。
その後、約4時間後に仕事を終え再度病院に。
妻と合流し、その後二人で赤ちゃんが預けられている部屋に。
私はガラス越しではあったが、妻に抱っこされ昼間会った人が同じように一生懸命生きてそこにいた。
最後まで不思議な感じだったが、目の前にいるその赤ちゃんが最高に可愛く愛おしいとは思った。
自宅に戻り
正直かなりの眠気で、今にも寝てしまいそうな中タイピングしているので、抜けていることもあるかもしれないが、今日の気持ちを記録しておきたくまずはここまで。
※明日妻にも時系列を確認します
今思えば、夫としての私だけでも睡魔・テニスボールを押す時間は長く感じた気がするが、振り返ればあっという間だった。
それはなぜなのかと考えると、妻に比べて夫の私は痛みが全くなかったということも大きな理由の一つだと思うが、その時間の後、妻と私の人生を更に面白くさせてくれそうな人が誕生したからなんだと思う。
そしてそれ以上に、妻が先程「まだ少しふわふわ夢の中にいるみたいだけど、とうとう私たちの赤ちゃんに会えたね!本当に本当に心強かったよ、ありがとう。あなたが初めて抱っこをしているのを見て、大好きな人の赤ちゃんを産むことが出来た幸せを凄く感じることができました。私を母にしてくれてありがとう。これから名前だけじゃなくちゃんとした母親になれるよう・そして妻としても頑張るね。二人で力を合わせてこの子を一生かけて愛して守っていこうね」とメッセージをくれたからだと思う。
生まれてきた息子に言える。
私自身のことは抜きにしても、君の母親は最高の母親だから安心してほしい。
間違いなく幸せ者だ。
それだけは私が保証する。
あとは元気に人生を楽しんでほしい。
何より、私たち二人の元に生まれてきてくれてありがとう。
最後に、妻に心からの感謝と敬意を伝えたい。
本当にありがとう。