共同経営となる創業メンバーとの始まり

創業メンバーとの始まり

始まり

※ブログ公開日の本日は2009年9月14日

2008年9月20日(土)、その日は鈴木の誕生日会だった。

前回のブログにも書いたが、誕生日会は地元の恒例行事だ。

私の地元は小学校からの仲間7人組で、中には0歳から幼馴染みの関係もいたり、小学校は違ったりするが、全員が会ったのは小学生の時。

そして、その全員が揃ったのは中学生の時。

それから、アホみたいにいつも一緒にいた。

会う頻度は少なくなっていったが、それは高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても、その関係性は変わらなかった。

高校生の時、先輩に「お前ら本当仲いいけど、20歳までだろうな。俺達も20歳まではしょっちゅう会ってたもん」と言われ、そんなことにはならないと、その時にいくつになっても誕生日会という名目で必ず集まる機会を作った。

そうすれば、最低でも年に7回は集まりがあることになる。

そして各自の彼女なんかも連れてきたりなんかして。

必ず参加しなければいけないということはないが、誰かが声をあげなくても集まる場所があればと思い、ずっと続けてきた。

結婚して子供が出来たりしたヤツもいたが、時には奥さんや子供を連れて参加してきた。

ただ、25歳になったこの2008年、集まる人間がいつも決まっていた。

私と内村と鈴木の三人。

その日もいつもの三人で飲んでいた。

すると鈴木が「最近集まり悪くなったよね」と言った。

その言葉に、先輩の言葉を聞いて、地元を先頭になって引っ張っていこうと思ってここまできた立場として耳が痛かった。

社会人になって数年、それぞれがある程度責任ある仕事を任され始め、あるヤツは親の家業を継いだり、青山でバーテンをしているヤツは土日休みは無かったりで、なかなか全員が揃うことは無くなっていた。

内村も去年まで、会社の大阪事業所立ち上げのメンバーに任命され、大阪に転勤したりしていた。

そんな地元の状況に、鈴木は不安と不満を口にした。

その時内村が言った。

「一緒に会社創らない?」

そう思った

もう一軒行かない?ばりに、サラっと言った記憶がある。

「一緒の会社で仕事をすれば毎日会えるし」とも。

続けて、私とは元々いつか一緒にやれたらと思っていたとも言った。

私自身、同じことを思っていたのでとても嬉しかった。

内村と同じ仕事をしたことはなかったが、中学生の頃から夢を語り合ってきた。

思ったことをはっきりという性格。

そのくせ、地元の中で一番の聞き上手であり、時に誰もが驚くことをさらりと言う。

仕事に対する姿勢、親友としてはもちろん、人として尊敬していた。

理想の会社を想像した時、そこには内村がいた。

残念ながら私のその理想の会社、そこに鈴木はいなかったが、鈴木はとまどいながらも最終的には「楽しそう」と笑った。

昨日内村も言っていたが、あの日に鈴木がいなければ、鈴木があの時に地元に対する想いを言わなければ、このメンバーに鈴木はいなかったと思う。

こんなことを書くと、鈴木が可哀想と思う未来の社員もいるかもしれないが、あの時は鈴木自身、まさかの話だっと思うし、実感はあまり無かったと思う。

私自身、鈴木がメンバーに入ったことはまさかだった。

鈴木から起業に対する思いなど聞いたことはなかったし、起業するにあたって、3人という人数は考えたこともなかった。

ただ、お互いに意見をぶつけ合う私と内村の間に、鈴木という人間がいることによって、スムーズに進んでいきそうな気はした。

経営等に関しては、私と内村よりは知識不足の鈴木がいることによって、私と内村では出てこない意見が出る気もした。

共同経営でいい話はあまり聞いたことがなかったし、友人との起業については否定しか聞いたことがなかったが、俺達ならやれる。

そう思った。

友人との共同経営の失敗談などあてはまらない、そんな会社を作れる。

そう思った。

<理想の会社を創る>

その第一歩が大切な友人との共同経営だ。

ついに動き出した。

これが始まりだ。

これから、互いに仕事をしていて、予定を合わせることは難しいこともあるが、定期的にミーティングをしていこうと決めた。

そして第一回のMTの日程とMT内容を決めた。

ここまで読んで「え?そんなノリで始めたんですか?毎日会えるからって…」

そう思った未来の社員達がほとんどだと思うが…

そうです。そんなノリです!

今日の言葉は

成功の反対は失敗ではない。

成功の反対は妥協である。

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