友達と疎遠になる人ならない人

友達と疎遠になる人ならない人

わがまま

2011年11月25日。

「学生時代にどんなに仲が良かった友人でも社会人になると疎遠になる」

10代の頃から、私にはそれはどこか妥協の言葉に聞こえていた。

自分自身が東京出身で、今も東京に住んでいるということもあるかもしれないが、会いたい人間にはどんな方法を使ってでも会いたいと思うだろうし、疎遠になることはないのではないかと思ってきた。

実際自分自身も、年齢と共に・様々な出会いの中で、会う回数が減った友人はいる。

電話やメールだけの友人もいる。

だが、昔からの付き合いだが、今でも頻繁に会っている仲間達がいる。

それが自分が理想とした姿であり、理想は現実にするべきで、社会人になっても自分にとってかげがえのない仲間だったからだ。

例えば小中時代の仲間とは2011年度のテーマに〈もっともっとわがままに〉を掲げ、今もなお定期的に集まっている。

そんな中、先月の真夜中、上記小中時代の仲間の一人から連絡があった。

開口一番「違和感を覚えて」と言った。

そこから「唯一、今年わがまま言ってないよね?」と言われた。

続けて
「それでも俺だったらこうするな。っていつも言ってたのに地元で最近そういう発言なくない?」
「一番理想を持っている男が妥協をしたらもうウチらは伸びなくなる」
と言われた。

何の枠組みも無かった10代の頃は意識的に突っ走った。

あえて周りなんて見ないこともあった。

それがいつしか仕組化されたと自信を得て、周りを見るようになった。

造り上げた絶対的な枠組みは守るよう努めてきたが、一人でも多くの人間が参加出来るよう、一人一人の声が反映されるよう、極力努力してきたつもりだ。

例えば、旅行の場所などは各自が行きたい場所の中からプレゼンで決めているし、ある時に仲間の結婚が決まった際に、お祝儀に対して自分の中では普通に発信したことに、すぐに仲間の何人かが反論し、その発信は簡単に覆ったこともある。

イベント実施日も、土曜日は仕事の一人を除き皆が土曜日開催を望んでも、日曜日に開催したことも少なくない。

そうやって、ある程度の枠組みみたいなモノの中で、各自の想いがちゃんと発信され、反映される組織になった。

そして昨年末には、今まで絶対的だった誕生日会を全員で話し合い廃止し、〈もっともっとわがままに〉というテーマの元、皆がわがままを発信し、誕生日会は無くなったが新しいイベントも増えた。

さらに、まとめ役などやったことが無い人間を各イベントの班長や隊長に勝手に任命し、時にイベントが中止になることもあったが、それを含め新たな部分が見えたりもした。

その任命が自分なりのわがままだったという感覚と、今までに無い形のイベントなど、それだけで十分満足していたというのもある。

だが、上記真夜中の酔っぱらいによる説教は真摯に受け止め、反省しながら電話で話している最中、先日久々に集まった飲み会や、この一年・これまでを振り返り、他の仲間達と比べ感じたことが「妥協したら」と言われたことに繋がったのかなと思った。

同世代の多くが皆社会人となり、多くが結婚し子供も生まれる中、小中学校時代の仲間の中では、家庭の事情・一回数千円の飲み会などのお金・仕事などで、参加する上で障害があるという話がたまに出ることがある。

その度に他の人間が解決策を提案してきたが、結局未だに同じような話が出る。

振り返ってみれば、それは近年始まったことではなく、数年前から旅行などでも出てきていた。

その度に皆で話し合い、少しでも全員が参加出来る方法を探してきた。

はっきり言って、お金が無いや、家庭の事情、仕事で来れないのは各個人の問題であり、仲間内組織の問題ではない。

だから各個人の問題と言ってしまえばそうだが、常に皆の問題として捉え、日程や時に他の人間がお金を出したりと、解決出来る方法を探してきた。

一番問題なのは来れない人間が出てくることだと思ってきた。

でもある程度の時期から、個人的には全員が集まることが100%ではなく、集まることが100%で、全員が集まればプラスアルファだと思ってきた。

その理由は、上記問題など大した問題ではないと思っていたからだった。

あの頃よりも選択肢は溢れている

例えば別の仲間内では、今はもう必要がなくなりやめてしまったが、皆が社会人となってもなお学生の人間がいたのだが、毎月飲み会用のお金を貯め、そこから毎回払っていたりした。

別のある仲間内には、ほぼ子供がいるし、だいたい皆二人いる。

お金が問題になったことは無いが、集まる場所などは子供がいる人間の声で、土曜日の早い時間や、日曜の昼にBBQができ子供も遊べる公園になったり、子供が遊べるキッズスペース的な場所がある飲み屋で行い、奥さんや子供も参加したりする。

だが、そんなことに誰一人文句を言う人間はいない。

選択肢なんていくらでもあるのに、20代後半になったからという声もあるかもしれないが、20代後半になって、お金や家庭の問題は出たとしても、それで立ち止まることなんて無いと思ってきた。

「だからどうする?」ではないのかと。

どんな問題が出ても、その解決策を探し乗り越えられるようにするしかない。

どんな提案をしても「でも」「でも」では前には進めない。

同じ問題がずっと解決されていないのであれば、本当に解決しようという気があるのか?とさえ思ってしまう。

会いたくないなら納得できるが、冒頭にも書いた本気で会いたいと思うなら、会えるか会えないかの二択なのであれば、止まるという選択肢なんて無いのではないかと思う。

解決できない=参加できない=会えないのであれば。

中学生の時から毎年旅行に行っていた。

史上最高にお金が無かった高校生の時、親の仕事を手伝ってでも来た男がいる。

二泊三日の旅行で、三日目の早朝に始発に乗って来た男もいた。

交通手段も無い民宿に泊まっていて、着いたら民宿から車でも20分ぐらいかかる最寄り駅に迎えが来るはずだったのに誰も起きず、それでもその男は諦めず、自力で民宿に辿り着き、朝起きたら人の布団で寝ていた。

皆が実家暮らしの頃、どの家で騒いでも親に怒られた。

公園やコンビニ前、駐車場さえも遊びだったが、よく通報された。

今、一人暮らしや常に家のカギを開けっ放しにしている男もいる現状は、あの頃よりも選択肢の少ない状況なのだろうか?

そんなことを思い出しながら一つの結論に至った。

至ったというより、何となく分かってはいたが明確になった。

本気かどうか

先述した他の仲間達も仕事をし、奥さんや子供、家を買った人間もいることを考えれば、小中時代の仲間達の中で問題なのは、仕事や家庭、お金ではない。

他の仲間内と比べても問題なのは、考える力が欠けていることだと思う。

では、なぜ考える力が欠けているのか?

それは個人的には【本気かどうか?】の違いだと思う。

本気で会いたいと思えば、それは行動になり結果として表れる。

今年自分が何かやろうとした時に、また今年の多くの思い出が、小中時代の仲間ではなかったのは、そういう部分なのかなーと思う。

誕生日会は廃止したが、それは会う回数を減らすためではないと私は思っている。

もっと楽しいイベントを生み出していくためだと捉えていた。

もし実施されるイベントに興味がないなら、自分が興味のあることを提案すればいいだけだ。

会いたければ会えるように考え、アクションを興せばいい。

最高に面白い奴らが自然に集まりできたこの輪だが、今もあるのは意識的な部分が大きい。

個人的なその意識の始まりは、多くの先輩達を見てきての危機感からだったが、根底にあったのは、いつまでこの仲間と一緒に笑っていたいという想いだった。

そして、この先数十年後も、この輪が今の形のままあるかどうかは・この輪の中にいるかは、本気という意識無くしては約束されていない。

=自分を含め、本気で会いたいと思わなくなった時、その輪は無くなるだろう。

それが仲間という、強制力の全くない自然とできた関係を支える一番大切なモノだと思う。

そしてそれが無くなった時、冒頭の「疎遠になる」のだと思う。

酔っぱらいに言われた「それでも俺ならこうするな」という言葉を言わなくなった自覚はないが、もしそうだとするなら、ここで久しぶりに言わせてもらう。

「どんな障害があっても、俺なら参加できる方法を考えるな」

全体として、常に改善を続け、更なる発展のため、〈もっともっとわがままに〉を掲げたのではないか?

妥協や言い訳を言い合うためのわがままであれば、私はわがままになんてなりたくない。

向上していくためのわがままを言い合っていきたい。

それが、私のわがままだと思う。

と書いてからブログを公開するのを忘れていたが、先日その小中時代の仲間の一人が、12月に行われる忘年会会場に行くことが難しくなったと電話があったが、その男は諦めていなかった。

それこそが本気の証だと思った。

だから私もその本気に応えた。

結果、忘年会会場からは電車で一時間ほど離れてはいるが、その男の家方面に行くことになった。

【本気は人を動かす】

そう思っているし、選択肢はいつだって無限だ。

皆にもそれを感じてもらいたく、この一年の各自のわがままには全て乗っかった。

大事な商談前だったが、朝まで飲んで寝ないで商談に行ったこともある。

平日の、しかも当日集合の集まりにも行った。

だが何一つ後悔していない。

私達は自転車に乗ることも出来るし、電車にもバスにも飛行機にも乗れる。

若干一名、漢字があまり読めず運転免許の筆記試験を苦戦した男がいるが、無事合格し、車の免許だって全員持っている。

またまた若干一名、埼玉在中の男がいるが、皆関東住まいだ。

だから「やる」か「やらない」かだけである。

酔っぱらいが言っていたような一番理想を持っている男かは分からないが、今も数十年後もこの仲間達とも一緒に笑っていたいと思っている。

自分以外はそう思っていないのに、一人で延々叫び続けるほど私は残念な子ではないが、もし他の人間もそう思っているなら、叶えればいいだけだ。

だがそれは、願うだけでは叶わないだろう。

そのために考え、行動することで、理想は現実となる。

思考を止めてはいけない

ビジネスとは全く関係の無い身内的なことを久々書いてみたが、ビジネスの世界でも思考を止めるというのは=後退の始まりだと思う。

できない理由を探す時間があるなら、できる方法を探すべきだ。

作り上げられた仕組みや枠組みの中で、ただ甘えているだけなら、組織の中でも置いていかれるだろうし、考え続けている人達・本気の人達には勝てない。

景気のせいにしている間に、景気を利用してる人達は進んでいく。

弊社は理想を現実にするための集まりだ。

長くなったが、そんなことが言いたかった。