震災から一年と一段一段でも

震災から一年と一段一段でも

僕らが生きる今日は

2012年3月15日。

進めている案件の進展など、書きたいことは多々あるのだが、まず書かない訳にはいかないことがある。

だが震災後、ボランティアとして被災地に行き、そこで見た光景を思い浮かべるだけで、タイプの手が止まり、当エントリーを書き出すまで時間がかかった。

そして、しばらく考えた結果、想うことは多々あるが、それをどうこう書くより、自分の言葉ではないが、ある言葉を紹介させて頂くことに決めた。

その言葉を紹介する前にまず、震災当日、宮城県南三陸町の防災対策庁舎から、防災無線で避難を呼びかけ続け、津波の犠牲になった町職員の女性をご存知だろうか?

多くのメディアでも紹介され、小中高の道徳の教材にも「天使の声」というタイトルで紹介されている。

その方には旦那さんがいた。

私と同じく、フットサルを愛するプレーヤーの一人だ。

ご紹介させて頂く言葉は、その旦那さんが、告別式の時に〈かりゆし58〉というアーティストの歌詞から引用して述べた言葉で、先日フットサル雑誌に掲載されていた。

「僕らが生きる今日は誰かが生きたかった明日かもしれません」

昨日、東日本大震災から一年を迎えた。

一段一段でも

そして、2011年最後のブログで、2012年更なる飛躍を誓った。

その誓いを果たす上で、まず第1クールを良い形で終われそうだ。

ここ最近進めていた案件の受注が決まり、その案件だけで、今期設定している最低限の目標クリアと、過去最高の売上を達成することになった。

競合先と私の方で全く異なる提案していたこともあり、結果が出るまで時間がかかり、最後の最後でピンチもあったが、まずは結果が出たことにホッとした。

だが、時間がかかったことによって、気づけばタイトなスケジュールになった。

4月いっぱいまで続くことになるが、最後まで私を買ってくれたクライアントさんのためにも、最後まで力を貸してくれた協力会社さんのためにも、期待を越える結果を出すことに尽力しよう。

そして上記事業は最近広がり始めている。

というより、当初広げようとは思っていなかった。

その他も広げていかなければいけないし、バランスもとっていきたいが、今時点ではもっと広げていかなければいけないことが明確だ。

そして、第2クール前半に予定しているもう一つの事業(アプリ事業)のある案件も、リリースに向け最終段階にきた。

プロセスなどどうでも良いが、ここ最近で一番時間をかけた案件であることは間違いない。

自分が使っているログ管理アプリで見ると、その案件関係に費やした合計時間は、すでに80時間を越える。

それが報われるかどうかは自分次第だ。

そして、4月末辺りからは、更に広げていくための次の段階に入っていく。

また、今時点で行っていることも、責任感を持って今後も広げていかなければならない。

例えば、個人的には早々にやめてしまったTwitterだが、上記事業(アプリ事業)のこの案件のためにも、その他の案件のためにも、9月頃からTwitterを始めたのだが、その分野に関する立ち位置が、日々変化してきてくれているのを感じる。

それによって責任感も増してきている。

週末に限らずほぼ毎日発信してきたのだが、先週末はその関連で、午前中から大きなイベントがあったのだが、寝不足気味もあって、それに関する午前中のツイートを一瞬やめようかと思ったのだが結局起きた。

ただツイートしただけだが、その日ここ最近で一番フォロワーさんも増えた。

別にフォロワーさんを増やすことが第一の目的ではないし、まだまだ少ないフォロワーさんの数だが、その方々が寄せてくれる信頼・期待に対する責任。

寝不足だろうが、何をしていようが、それはこの先も守っていかなければいけない。

それによって、更に広がっていくと思っている。

今いる場所は、まだまだ低い。

こんなところに、いつまでもいるつもりはない。

目指す場所はまだまだ高く、その高さを実感する日々だが、いきなりその場所に到達することはできなくても、一段一段でも、上がっていくことが大切だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です