東京スカイツリー
2011年3月22日。
「世界一の電波塔を作って、復興の確かな証として、日本人に自信を与えたい」
敗戦から10年が経っていた1955年、電波塔の乱立に悩んでいた郵政省で、東京タワーを考案した浜田電波管理局長の言葉だ。
その東京タワーは、完成して50年以上経った今も、日本のシンボルとしてそこに立っている。
そして、2011年3月18日。
東京スカイツリーが634mに到達した。
起業まで、東京スカイツリーの完成を意識していた。
2011年というのが、弊社にとっての創業予定時期でもあったからだ。
だが、元々東京タワー派ということもあり、起業後はスカイツリーへの意識は薄れていた。
だが、こんな時だからこそ、このニュースにもう少しスポットを当てるべきではと思ったので、私が知る限りのスカイツリーについて書こうかと。
<東京スカイツリー>
東京都墨田区押上の、元々は東武鉄道の引き込み線と、コンクリート工場があった土地に
・さいたま新都心
・足立区の舎人公園
・秋葉原
などの候補地の中から選ばれたその場所で、地上デジタル放送の電波障害対策として、東京スカイツリーが建設されている。
総事業費、約650億円。
一日約450人の作業員が働く。
自立式電波塔としては世界一の634(むさし)m。
2010年3月29日には、東京タワーを抜き日本一の建造物に。
第一展望台の高さは350m。
地上からエレベーターで約50秒で到着。
さらにエレベーターで約30秒ほどで、高さ450mに位置する空中回廊になっている第二展望台に到着。
東京タワーよりも高さは高いが、スカイツリーの方が全然細い。
だが基礎工事では、地下50mまで最新の掘削機で掘り、杭になる鉄筋を打ちコンクリートで固められている。
ちなみに東京タワーは、機械ではなく、人の手で掘った。
地上足下の鉄骨は、見ればその太さが分かると思うが、直径2,3m、厚さ10cmもある。
そんな鉄骨、約25,000本が複雑に絡み合い本体が出来ている。
その鉄骨を、ほこりなどがつかないように、建物の中でオリジナル色であるスカイツリーホワイトで塗装。
大きな鉄骨を建物の中に入れることは困難のため、動く建物の中で塗装。
その後、高速を走ることは出来ないため、一般道で運ばれる。
また、たまに曲がっているのでは?という声があるが、それにはスカイツリーの構造に理由がある。
地面に根を張るように、三本の足で三角形で建ち始めているが、上にいけばいくほど円形になる。
そのため、地面部分の三本の柱は反って出来ているのだ。
そんな反りのデザインは、日本刀と寺院などの柱にある緩やかにふくらんだ「むくり」というものを参考にしている。
そんな反りとむくりを組み合わせ、見る方角などによって、様々な形に見えるよう設計されている。
中心部は高さ495mまで、直径10mの空洞になっていて、五重塔の構造をヒントにした心柱という地震の揺れを軽減する制御システムが入り、その内部には避難用の鉄骨階段もある。
495mから先には、ゲイン塔という、地上デジタル放送用のアンテナが取り付けられ、高さ100m・200m・285m地点には、航空障害灯を取り付けるための丸いデッキがあるので、外から見た時に高さの目安になる。
頂上付近で活躍するタワークレーンは、バラバラで現場に搬入され、現場で組み立てたものだ。
最大32tまで吊り上げ可能で、分速26mで進む。
最大の敵は風であるが、10分間の平均風速が10m以下であれば作業し続ける。
支柱を使い、自ら尺取り虫のようによじ登り、最後は脱皮を繰り返し、小さくして解体され、エレベータを使い、人間が手で下ろす。
また、東京タワーは職人の手作りという感じだったが、スカイツリーでは、様々な最新設備や、スカイツリー独自の設備も使用されている。
例えば、自在に荷物の向きを変えられる装置スカイジャスター。
箱の中で高速回転する円盤を傾けることで、吊り荷の方向を変える力を生み出す。
それにより、風の影響も最小限に抑えられる。
足場は、ワンタッチで着脱可能で、再利用出来る足場を使っている。
付近では様々な施設も建設される。
31階建てのオフィスビル、商業施設には、水族館やプラネタリウムも出来る予定。
日本を盛り上げること間違い無しの世界一の自立式鉄塔が、その高さに到達したのである。
東京タワーは敗戦からの復興の証の一つだったが、スカイツリーも、2011年に竣工するということは、東京だけでなく、日本にとって何か意味を持っているのかもしれない。
同い年
そして、その東京スカイツリーと弊社は同い年である。
きっと日本にとって不可欠な存在になるだろうスカイツリーのように、弊社も必要不可欠な企業になる。
そして、昨日地元の仲間の一人に第二子が誕生した。
どちらの意味でかは書かないが、お父さんそっくりである。
このタイミングでの新たな命の誕生に、感慨深い気持ちを抱いた。
子供の成長は早いと言う。
こちらも弊社と同い年になる、その子供に負けないぐらい、弊社も成長していかなければならない。
長くなってしまったが、こんな時だからこそ、希望を見出し、上を向いていこうという想いを込めて、東京スカイツリー・友人の子供誕生について書かせて頂いた。